7月19日(日)~20(祝)は、とある居酒屋さん企画の「信州酒蔵巡りの旅」が開催
されたので、参加してきました。
されたので、参加してきました。
行程は、
7月19日(日)
名古屋→屏風山PA(昼食)→「土屋酒造」→「黒澤酒造」→(宿)里味の宿「臼石」
7月20日(祝)
宿→海野宿(散策)→「大雪渓酒造」(昼食含む)→名古屋
7月19日(日)
名古屋→屏風山PA(昼食)→「土屋酒造」→「黒澤酒造」→(宿)里味の宿「臼石」
7月20日(祝)
宿→海野宿(散策)→「大雪渓酒造」(昼食含む)→名古屋
最初にお伺いした、土屋酒造場の創業は、南佐久郡・小田切村出身の土屋長平・熊治親子が、
南佐久郡・中込村にて、江戸時代より「越後屋」という屋号で清酒を製造していた酒蔵を
引き継いだことに始まります。
銘柄は、1900年(明治33年)に会社を設立し、以来さまざまな銘柄を造ってきましたが、
日本酒については仏教の経典一説の「非常におめでたい」の意を表す「亀壽福海」より酒名を
「亀の海」と命名し現在にいたっています。近年は、「地元の酒米を使った、
地元発の酒を醸したい。」との思いから「亀の海」は一部の大吟醸酒を除き、
県内産の酒米にこだわり、農薬を一切使用しない酒米を契約栽培し、
この酒米を特別純米「茜さす」の仕込みに使用し、今後の酒造りのひとつの形を見出すべく、
チャレンジを続けています。
南佐久郡・中込村にて、江戸時代より「越後屋」という屋号で清酒を製造していた酒蔵を
引き継いだことに始まります。
銘柄は、1900年(明治33年)に会社を設立し、以来さまざまな銘柄を造ってきましたが、
日本酒については仏教の経典一説の「非常におめでたい」の意を表す「亀壽福海」より酒名を
「亀の海」と命名し現在にいたっています。近年は、「地元の酒米を使った、
地元発の酒を醸したい。」との思いから「亀の海」は一部の大吟醸酒を除き、
県内産の酒米にこだわり、農薬を一切使用しない酒米を契約栽培し、
この酒米を特別純米「茜さす」の仕込みに使用し、今後の酒造りのひとつの形を見出すべく、
チャレンジを続けています。
蔵内の見学もさせていただきましたが、当然、造りは終了しているので、雰囲気だけです。
お待ちかね、試飲タイムです。
続いて訪問したのが、「黒澤酒造」です。
安政5年10月 借地主 米蔵 請人 伴二郎 仲右衛門殿
米蔵(初代 利左衛門)伴二郎〈米蔵長兄総本家〉仲右衛門(井出仲右衛門 崎田第一の大地主)」
とあり、酒造りをするための敷地を賃借することが書かれており、この年から酒造りがはじまった
ものと思われます。銘柄は明治時代は「マルト正宗」、大正時代には、第2号の井戸を掘った時に
良い水を掘り当てたことから、「井筒正宗」となり、昭和時代に井戸の守り手の長(オサ)の
意味から「井筒長」となりました。
当主より丁寧なごあいさつです。
安政5年10月 借地主 米蔵 請人 伴二郎 仲右衛門殿
米蔵(初代 利左衛門)伴二郎〈米蔵長兄総本家〉仲右衛門(井出仲右衛門 崎田第一の大地主)」
とあり、酒造りをするための敷地を賃借することが書かれており、この年から酒造りがはじまった
ものと思われます。銘柄は明治時代は「マルト正宗」、大正時代には、第2号の井戸を掘った時に
良い水を掘り当てたことから、「井筒正宗」となり、昭和時代に井戸の守り手の長(オサ)の
意味から「井筒長」となりました。
杜氏です。
黒澤酒造では、昔ながらの製法「生酛造り」に力を入れています。「生酛造り」は通常の倍の時間を
かけて酵母を育てる手のかかる製法ですが奥行きのある、旨味たっぷりの骨太な酒を目指してこだわ
り続けています。特に、お燗をつけた時のその旨さには自信があります。
現在、全仕込本数の40%以上が「生酛造り」です。
かけて酵母を育てる手のかかる製法ですが奥行きのある、旨味たっぷりの骨太な酒を目指してこだわ
り続けています。特に、お燗をつけた時のその旨さには自信があります。
現在、全仕込本数の40%以上が「生酛造り」です。
造りは、終了していますが、造り時の活気を感じさえる雰囲気がありますね。
酒の資料館を併設しています。
趣きのある街道沿いに蔵は、あります。
NO.2へ続く