「尾張津島の魅力を探る」学・集・会というのが昨年から開催されています。
津島市のシンボルである津島神社を様々な角度から勉強し、津島神社の魅力を再発見するという趣旨で市民グループ「紡ぎたい津島」が企画しています。
今回で4回目の開催となり参加してきました。
津島市のシンボルである津島神社を様々な角度から勉強し、津島神社の魅力を再発見するという趣旨で市民グループ「紡ぎたい津島」が企画しています。
今回で4回目の開催となり参加してきました。
今回のテーマは、良王君(後醍醐天皇のひ孫)の足跡を訪ね、昼食は郷土料理である「もろこ寿司」を楽しむ企画でした。
さて、良王君について少し歴史から紐解いてみます。
14世紀は南北朝時代と呼ばれ、大覚寺統の南朝と時明院統の北朝に朝廷が二つに分かれました。武家政権の鎌倉幕府を倒した大覚寺統の後醍醐天皇は、天皇を中心とした「建武の新政」と呼ばれる天皇専制の政治を行いました。しかし、公家と武士が激しく対立し、武士に不満をみた足利尊氏は、新政に対抗し、時明院統の光明天皇(北朝)を擁立し、武家政権の室町幕府をひらきました。「建武の新政」はわずか3年で崩壊しましたが、京から逃れた後醍醐天皇は、吉野に入り南朝を開き、朝廷が南北に分裂した南北時代が60年続きます。
14世紀は南北朝時代と呼ばれ、大覚寺統の南朝と時明院統の北朝に朝廷が二つに分かれました。武家政権の鎌倉幕府を倒した大覚寺統の後醍醐天皇は、天皇を中心とした「建武の新政」と呼ばれる天皇専制の政治を行いました。しかし、公家と武士が激しく対立し、武士に不満をみた足利尊氏は、新政に対抗し、時明院統の光明天皇(北朝)を擁立し、武家政権の室町幕府をひらきました。「建武の新政」はわずか3年で崩壊しましたが、京から逃れた後醍醐天皇は、吉野に入り南朝を開き、朝廷が南北に分裂した南北時代が60年続きます。
後醍醐天皇の皇子、宗良親王は信州を拠点として東国で北朝方と戦いました。宗良親王の皇子である尹良親王は、父を継いで南朝方として各地を転戦したと伝えられています。この尹良親王の皇子が良王君(よしたかぎみ)です。
そんな知識を少し持って、散策すると楽しくなりますね。
そんな知識を少し持って、散策すると楽しくなりますね。
良王君ゆかりの良王神社です。誠に小さな神社であり、言われなければ通り過ぎてしまいます。
その他、不動院、大龍寺など、地元ボランティアの方の興味深いお話を聞きながら、9:30~12:00までしっかりと探索することができ面白かったです。
そして、昼食は、末廣寿司で郷土料理である「もろこ寿司」ランチをいただきました。
これが、もろこ寿司です。ザラメ・醤油・酒・生姜で甘辛く煮付けたもろこ(小魚)をつかった押し寿司です。
いつも、午前中に探索をして、昼食で解散です。なかなか面白いですよ。